平成も残りあと僅か、新しい時代を迎えようとしています。
産業の世界において、平成の時代に全盛を迎えたのが「データ至上主義」だったような気がします。その結果が招いた大問題が、世界的にもネームバリューの高い企業による「データ改竄問題」だったような気がします。
これは、決してやってはいけないことだけど、多くの企業で「適当なデータを出しておけば、納入先では実証テストなどやらないだろう」という発想が根付いていた証拠なのではないでしょうか。
受け入れ先の企業の多くで、人手も時間も足りないから受け入れてからテストしているような余裕がないという言い訳がまかり通っていたことも容易に想像できます。
でも、実際に開発をしている方なら、データの存在価値は???だということに気づいていた方も多いのではないですか。
提出されたデータでは、基準を充足しているが、実際の使用用途においては十分な性能が出ないことがあるということを薄々感じているなんてことは日常茶飯事なのではないでしょうか?
でも、私は開発者の基本的な考え方として、全ては疑ってかかるという姿勢が必要なのではないでしょうか。ただ、それも開発者として試してみたい技術が低価格で、失敗したとしても大きな損害を発生させないというところが最重要なポイントになると思います。一台数千万もする技術を購入して失敗したでは問題が大きくなってしまうのは誰もが理解することが出来て一歩前に踏み出せないのも理解できます。でも一台数万円程度の技術を購入してテストすることであれば結果はどうであれ、大きな損害を発生することにはならないのでないでしょうか。もし、その程度の余裕もないということでは、日本の将来は真っ暗といことになると思います。
新しい時代には新しい取り組みを取り入れる大きなチャンスなのではないでしょうか。
「データを提示して」「はいデータ持ってきました(内容は知らないけど)」みたいな悪弊をもう一度見直すチャンスだと思いますよ。