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薬剤耐性菌の歴史

 私たちが感染症に掛かった時、治療には抗菌薬が使用されます。抗菌薬が病原微生物を殺してくれるため、私たちは感染症から回復することが出来るのです。

 しかし、抗菌薬の使用を考える上で必ず問題となるものがあります。それは、薬剤耐性菌の問題です。耐性菌とは、抗菌薬が効きにくい病原菌のことを指します。そのため、抗菌薬を投与しても感染症から改善しないという症状が現れてきます。いうなれば病気が治らないということになります。

 現在では多くの耐性菌が分かってきました。これら耐性菌の中でも、細菌では多剤耐性菌が問題となります。多剤耐性菌とは、「多くの薬剤に耐性を示す細菌」のことを指します。

 一つの抗菌薬に耐性を持つだけであれば、他の種類の抗菌薬へ変えれば良いのですが、多剤耐性菌として多くの抗菌薬が効かない状態であると、そもそも感染症の治療が出来ないということになってきます。
 たとえ抗菌薬を変えたとしても、多剤耐性菌は既にその薬に対しても薬剤耐性を獲得することになってしまいます。。このように、多剤耐性菌には使用できる薬剤が限られてしまいます。そのため、抗菌薬を学ぶ上で耐性菌に対して知識がとても重要になってきます。

  

 ここで耐性菌の歴史について紹介しておきます。

 耐性菌の歴史は、フレミングが1929年に「ペニシリン」を発見したことから始まります。ペニシリン自体が黄色をしているためにこの発見はイエローマジックと呼ばれ、第二次世界大戦でもペニシリンは大きく活躍しました。

 そして、ここからさらに抗生物質が次々に開発されていきました。しかし、抗生物質の使用が増えるにつれて耐性菌の問題が発生してきました。

 ペニシリンと同じペニシリン抗生物質として「メチシリン」と呼ばれる抗生物質があります。このメチシリンに関して、1961年にはメチシリンが効かないMRSAメチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が英国で最初に報告されました。

 それをスタートに、人間と細菌とのいたちごっこが始まりました。人間が新しい抗菌薬を開発し、この抗菌薬に対してまた細菌が耐性を獲得するというループが繰り返されてきています。

 ただし、MRSAの報告された当時は「バンコマイシン」と呼ばれる切り札がありました。バンコマイシン抗生物質の一つであり、当時バンコマイシンは「耐性菌が出現しない抗生物質」といわれていました。

しかし、1986年にはバンコマイシンに耐性をもつ細菌が報告されます。世界で始めて報告されたバンコマイシンが効かない細菌をVREバンコマイシン耐性腸球菌)と呼びます。

 バンコマイシンには耐性菌が出現しない」という当時の常識に反し、バンコマイシンに耐性をもつ菌が出現してしまったのです。

 その後、1990年代にはほとんどの抗菌薬が無効であるMDRP(多剤耐性緑膿菌)や多剤耐性アシネトバクターが出現し、次々に問題となりました。

 VREバンコマイシン耐性腸球菌)が発見されるまで、バンコマイシンには耐性菌が出現しないと言われていました。その理由の一つとして、バンコマイシンはとても複雑な構造をしています(興味のある方は調べてみてください)。この複雑な構造が「耐性菌が出現しない」と言われていた理由です。

 バンコマイシンは1956年に開発され、この後40年以上耐性菌が出現しませんでした。このため、耐性菌に対抗するための「最後の切り札」としての地位を確立していったのです。

 しかし、1997年にVREバンコマイシン耐性腸球菌)が出現し、世界に衝撃を与えました。バンコマイシンであっても耐性菌が出現するということが判明してしまったのです。

このように、耐性菌の進化は人間の想像をはるかに超えたところで起きている現象になってしまったのです。それは今も続いている重要な問題になっています。

 

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